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「多芸は無芸」ではない~5芸で支える100年人生の生き方【独自記事】

名古屋外国語大学 学長 亀山郁夫教授インタビュー【後編】


亀山郁夫 名古屋外国語大学 学長
亀山郁夫 名古屋外国語大学 学長

名古屋外大・亀山学長へのインタビュー。前編では外国語教育の意義、英語化とグローバリズムと日本の将来について自由闊達なトークをしていただきました。後編では、人生100年時代と言われる昨今、私たち一人ひとりはどう生きればよいのか、母語による学びはなぜ大切なのか、そして大学教育はどうあるべきかについて、大いに語っていただきます。


【「場」の創出こそ大学の役割】


――長寿化、人生100年時代でいえば、一度社会に出たビジネスパーソンのリスキリングやリカレント教育の必要性も盛んに言われるようになりました。


リカレント教育、あるいは社会人向けの教育は、本学でも実施しています。2021年の秋に、名駅キャンパスを設置しました。コロナ禍の真っ盛りに、学生の不安を取り除き、精神的なゆとりをもって学ぶことができる空間を提供することがメインの趣旨ですが、地域の企業やビジネスとの交流による「世界人材」の育成も視野に入れています。


名駅キャンパスで昨年(2022年)3月から開始したオープンカレッジも順調に進んでいます。オープンカレッジは、対面(in person)で実施します。教養講座と外国語講座があり、講座を開くと、ちょうどよい人数が集まってきます。私も講座を担当しており、15~16名のドストエフスキー・コミュニティが出来あがっています。


――コロナ禍の外出自粛によって、図らずもオンライン・コミュニケーションが半ば強制的に普及し、オンライン授業や、オンライン会議が当たり前に行なわれる状況になりました。そんななか、対面で行なう授業の価値はどこにありますか。


いま、YouTubeだけで授業が出来ちゃうし、学校だって作れちゃうんですよね。とくに、リスキリングだけを目的にするのであれば、コンテンツの精査、選別は必要ですが、オンラインだけで完結できてしまいます。ほしい情報は、ほとんどネット上に存在します。


“Society5.0”というスローガンを掲げ、官民挙げてサイバーとリアル(対面)の高度な融合社会を目指しています。もちろん、そこで問われるのは、どのようにオンラインを使いこなしていくか、ということですが、もっと根本的に重要なのは、そもそも人が集まるということの意味を問うことです。対面で人が集うことの存在論的意味です。


私は、対面で授業を行なうことの意味は、「場」の創出だと思います。コミュニティと言い換えてもいいですが、いい人と直接つながれるということ、ここに意味があります。リアルな「場」に人が集まらないと、知識の伝達以上のことが起こらない。リアルなキャンパスで大学が行なうのは、このようなリアルな知的コミュニティの提供ということになるでしょう。


【「多芸は無芸」ではない】


――長寿化それ自体は良いことかもしれませんが、引きこもりや独居老人、とくに都市部では孤独死が増えているともいいます。「場」の創出は、孤独に対するセイフティーネットにもなりそうですね。


確かにそうですが、それだけではないですね。100年生きられる、生きねばならないとしたら、個人としても強くならなければならない。知的に成熟する必要があります。


私は、“Jack of 5 trades”を提唱しています。もちろん、私の独創したフレーズです。


英語で、“Jack of all trades” もしくは、“Jack of all trades is master of none.”ということわざがあります。“Jack”は日本語の「太郎」みたいなありふれた名前で、“all trades”すべての商いをする太郎さんなので、「何でも屋」「よろず屋」ということです。転じて「器用貧乏」、日本語で全体を訳すと、「多芸は無芸」(多芸であると卓越した芸を持ち難く結局は無芸と同じだ)ということになります。


しかし、人生100年時代の現代では、どうやら、そうでもなさそうです。さすがに “Jack of all trades”では、ただの器用貧乏ですが、“5 trades(5つの商い=領域)”ならできるし、やるべきだ。“Jack of 5 trades is master of one.”で、何者かになれます。


5つの領域は、誰にも負けない1本の専門性の軸があり、4本のやや専門性のある分野を一つずつ、つけ足していくイメージで、5芸を身につける。人よりもよく詳しい強みを5つ作ろうと。これが個人を強くし、人生を豊かにし、ひいては世界を広げることにつながる。20代から始めて、10年ずつ1芸を身につけていけば、古希(70歳)までに5芸が身についているはずです。


アイデンティティ(identity) という言葉がある。アイデンティティ崩壊の危機、なんていわれたりしますが、1つのidentityつまりI-dentityだから弱いんです。複数のI-dentityつまりwe-dentityとすることによって、幅が広がり、壊れにくくなる。仲間に支えられているから。知も芸も共同作業だから、多芸を目指すことで、「場」もたくさんできていることになるでしょう。


作家の平野啓一郎さんは、「個人主義から分人(ぶんじん)主義」という言い方で、対人関係ごと、環境ごとに異なる人格を持つことを提唱しています。アイデンティティという一つの自分を認めるのではなく、複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えろ、というのですね。この考えも魅力的ですが、私のアイディアは、個人のアイデンティティを縦・横に広げるイメージですね。教養を通じて、共同体やスモール・グループの中での個人を太く、強くしていく。つまり、I-dentityあらためwe-dentityは、他と共有する場にいる個人を表します。


――亀山先生ご自身は、いま何か新しいことに取り組まれているんでしょうか。


私は、ずっとこの考え方でやってきて、10個くらいの軸が出来上がりました。もちろん、中心にはロシア文学がありますが、その他にも小さな専門性をたくさんもっている。ロシア美術、アバンギャルド。チェロとクラシック音楽。自室には3,000枚を超えるクラシックのCDコレクションがあり、重要なものは徹底的に聞きこんでいる。村上春樹は、台湾で学会があって呼ばれたため、ある時から読み込んで、プチ専門家を自負している。


最近は、作家の宮部みゆきさんとの会談があるので、一気に長編を3編読み切りました。小説は、AmazonのAudibleも利用して「読み」ます。宮部作品は、聴き終わるまでに75時間もかかる。「先生、よくそんなに時間がありますね」と聞かれますが、隙間時間やデバイスをうまく使いこなせば、いろいろできるものです。


宮部みゆきを読んだことで、松本清張のファンの人たちとも交流ができました。両作家のファン層はだいぶ重なっており、知っていることを共有することで、世界も広がる。we-dentityを広げるのはこのような小さなステップからでよいのです。小さな領域でも、徹底してやる。とにかく徹底してやる気概が重要です。そこから、横に広げるのです。


私は、近所にある「セカンド・ストリート」(古着や中古品などの買取と販売を手掛ける量販店)によく通っているんですが、そこで見かけた中古のギターが気になり始めているんです(笑)。さすがにエレキには手を出せないので、クラシックギター。チェロも弾くから、ナイロン弦のクラシックギターならなんとかなるんではないかと。


いったいそれが何の役に立つのか?などと考える必要はありません。すぐに役立つことなんか考えてはだめ。追究したことを他者と共有することで、出会いも生まれ、強い自信につながります。なんか、大学の話じゃなくなってしまいましたね。


【これからの大学教育】


――では、本題に戻って、大学経営についてお聞きしていいですか?


どの大学もそうかもしれませんが、本学でも、大改革を進めています。法人と大学執行部による協議機関「将来戦略会議」という組織でやっています。コロナで、外国語・国際系の学部人気が低迷しているが、そのなかでどのように生き残るか。膨大な時間をかけて、議論を尽くして、ようやく昨日、大枠が固まったところです。詳しくは話せないんですが、これから、評議会、理事会の承認を待つことになります。


――大学の改革は、どのような方向に向かっていくのでしょうか。


大学改革のビジョンなどというものは、すでに出尽くしているんです。起業精神のある学生を育てるとか、AIとデータサイエンスに強い人材育成とか。「世界人材」や「世界教養」もそう。だから、いま議論すべきは、方向性というよりも、具体的な戦術ですね。


――うまく進んでいるのでしょうか。


教養力の向上という課題への対応は、実質化してきています。本学には「世界教養学科」がありますが、そこでの「アカデミック・アドバイザー」という仕組みがうまく機能しはじめています。あたかもブドウの房のごとく有機的に組み合わさったカリキュラムの中から、個々人の興味に合わせて、合理的に履修科目を選んでいける仕組みです。そこで学んだ学生が育ち、社会に出始めている。このシステムを、他学科にも広げていきたい。


――先生も大学の授業を担当されているんですか。


私もゼミを持っていますよ。教養力の向上のための授業を展開しています。たとえば、英詩(英訳詩)を読ませる。とにかく、詳細に読む。わからない表現は、DeepLにかけたりしながら、淀みなく音読できるまで読み込む。詩は声に出すのが重要です。


テクストは、私が今執筆中の運命論で、各学生に音読してもらいます。フロイトやエディプス・コンプレックスというキーワードが出てきたら、その場でネットで調べさせる。20世紀の知的課題について、中村雄二郎の名著『述語集』(岩波新書)の中から、エッセイを選び読ませて、調べたり、ディスカッションしたりもします。最後は400字のエッセイ・ライティングです。授業時間中にテクストを共有し、相互に意見を述べあうのです。


学術と芸術がつながっていることを学ぶのも重要です。シェークスピアに関連して、プロコフィエフを聞かせたり、ショスタコーヴィチの交響曲を聞かせてから、独ソ戦について調べさせ、ウクライナ問題につなげたりもする。


このように、知が有機的につながっていることを確認していくような授業をやっています。これは、オンライン授業での学が効を奏したよい例です。


【母語による学びの重要性】


――亀山先生は、学びの上での、日本語=母語の重要性も言われていますね。


そうです。英語学習の大切さは、改めていうまでもありません。しかし、英語が話せるだけでは、やはり意味がない。さきほど言ったことと重複しますが、英語を使って何をするか、英語+他の学問があってこそ習得の意味がある。


グローバルの共通言語は、まぎれもなく英語です。政治経済だけでなく、文化や芸術も英語化してきているのが現状です。学問の世界も同じで、論文を英語で発表しなければ、世界的に読まれることはありません。その点、アメリカ人(英語話者)は、非英語圏の人たちの英語学習に費やす苦労(時間と労力)を全くすっ飛ばして、いきなり本題に入れる大きなアドバンテージがある。しかし、だからアメリカ人は、母語以外で初めてアクセスできる、べらぼうな量と質の文学、文化、音楽、芸術等々を知ることができないのです。


母語でしかできないものがあります。人文系の学問がそうですが、とくに「詩」の言語は母語でしか理解できないものでしょう。文芸のジャンルはさまざまですが、最も古くからあるジャンルで、20世紀、21世紀になってもすたれなかったのは「詩」です。


母語でこそ経験できるもの、母語でしか経験できないものの豊かさに目覚めないと、人生も文化も、非常に狭隘なものになってしまいます。母語による文芸を通じて、他者への共感を鍛え、振り返って自分を見つめる力を養うことができる。これが教養の基礎です。


――今後、貴学の外国語教育はどうなって行くでしょうか。


私は、高校生の純粋な気持ちに応えたいと思っているんです。韓国語の人気について話しましたね。本学の第二外国語の授業でも、スペイン語やフランス語より、韓国語がずっと人気です。韓国・朝鮮文化に偏見があった昔では考えられないほどの人気がある。しかも、韓国語を学びたい人の気持ちは、非常に純粋なもの。儲けたいとか、ビジネスに役立てたいとかいう人はごく少数派で、韓国文化と韓国語にあこがれ、リスペクトをもって韓国語学習に取り組んでいる。


このように、純粋な気持ちで外国語に接することで、トランス・ナショナル・アイデンティティが涵養されます。平野啓一郎さんの言う「分人」、もう一つのアイデンティティが出来上がってくる。これは、外国語学習の最大ともいえる価値の一つであり、それを育てるのが外国語大学のミッション、存在意義でもあると思います。こういったところから、世界平和への手掛かりも得られるのではないでしょうか。


(インタビューと構成・記事:原田広幸 KEIアドバンス コンサルタント)



亀山郁夫(かめやまいくお)プロフィール:

1949年(昭和24年)栃木県生まれ。東京外国語大学卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程得退学。ロシア文学者。日本芸術院会員。天理大学、同志社大学で教鞭をとり、母校・東京外国語大学で教授、学長を歴任。現在、名古屋外国語大学学長、世田谷文学館館長。1991年から10年間、NHKテレビ『ロシア語会話』の講師を務める。

『磔のロシア―スターリンと芸術家たち』(岩波現代文庫)、『新カラマーゾフの兄弟』(河出書房新社)、『ドストエフスキー 黒い言葉』(集英社新書)、『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』(岩波書店)、『人生百年の教養』(講談社現代新書)、『増補「罪と罰」ノート』(平凡社ライブラリー)など著書多数。訳書では、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『白痴』『未成年』(光文社古典新訳文庫)など。

国内での様々な受賞歴の他、「プーシキン賞」「ドストエフスキーの星・勲章」受賞。



【亀山郁夫学長の近著】

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