株式会社KEIアドバンス 満渕 匡彦
オピニオン
「食は総合科学」の時代に——文化、科学、DX、そしてデザイン&コミュニケーション
満渕 匡彦(まぶち まさひこ) KEIアドバンス コンサルタント
日本の食料自給率はカロリーベース試算で40%にも満たず(農林水産省による2021年度の試算)、先進国の中でも最低レベルであることはよく知られている。海外からの輸入に依存している割合が高いわけだが、国際紛争による物流の制約・コスト高や国際間での農産物の獲得競争の激化などによる食料不足のリスクも懸念されている。
こうした中、大学の学びの中でも「デジタル」に続き「グリーン」の分野に関連して「環境」だけでなく「食」にも注目が高まり、学部や学科の新設も増えてきている。近年の設置や構想の中から特徴的な事例を幾つか取り上げてみよう。
【1】宮城大学 食産業学群 生物生産学類/フードマネジメント学類
最初に紹介するのは、宮城大学「食産業学群」。大学としての開学は1997年だが、当学群の前身となる食産業学部が設置されたのは2005年、その後公立大学法人化を経て、2017年の改組により現在の「食産業学群」及び各学類が誕生した。
宮城大学ホームページの井上学群長のメッセージを引用する。
「私たちの『食』」を支えているのは,原料である農畜水産物などの生物の生産,それを加工して流通させ,安全で健康的な消費を可能にする複雑なシステムです。このシステムが食産業であり,産業として持続的に機能させるには経済の仕組みや経営,食文化なども大きく関わってきます。このシステムを発展,進化させてゆく食産業学では自然科学分野や工学などの理系学問と社会科学などの文系学問の両方から総合的に取り組まなくてはなりません。食産業学の大きな特徴はここにあります」(食産業学群長 井上達志 教授)
上記の通り、生物生産学類では「バイオサイエンスモデル」「水圏生物生産モデル」「植物生産モデル」「動物生産モデル」「生産環境情報モデル」「生産ビジネスモデル」の6つの履修モデル、フードマネジメント学類では「食品製造・加工」「食品開発」「食の安全・安心」「食品流通・サービス」の4つの履修モデルが用意され、2つの学群で実に多様な研究・教育が行われている。
例えば、歴史という縦軸と地域という横軸を組み合わせ、フィールドワークによる調査や歴史資料の分析などを通じ「食」の文化と歴史を発見する。
ユニークな研究室も多く設置されている。現代から未来の食産業の在り方を再考する「食文化史研究室」。野菜の生育環境に影響を及ぼす様々な環境要素に対し、状態を可視化し温室や植物工場での理想的環境を構築・維持するための制御技術・方法を提案する「環境生体工学研究室」。人は栄養だけでは満足できないことに思い至り、感覚で語られてきた「おいしさ」を、改めて食べるヒトと食べられるモノをともに分子レベルで解明し、調理の科学的知見を「分子調理学」として体系化することを目指す「分子調理学研究室」などがある。
また、消費者の心理的な判断である食の「安全」と、科学的な評価である「安心」をつなぐためのフードコミュニケーションの学び、宇宙での植物育成のための「スペース・モス」研究プロジェクトに加わり国際宇宙ステーションでの実験など、様々な学びが進められている。
こうした応用の基礎となる専門基礎実験やプログラミングなどの実習の環境・体制も整えられている。
出典:https://www.myu.ac.jp/academics/food/
【2】立命館大学 食マネジメント学部
次に紹介するのは、立命館大学「食マネジメント学部」である。2018年にびわこ・くさつキャンパスに設置された。
「食の成り立ちの源である自然生態系、人類の歴史や地理、食ビジネスを支えるグローバル経済といった俯瞰的な視点から、食品が提供する栄養や健康、食のおいしさがもたらす幸せなど身近な視点まで、食の全てを通して総合的に学ぶ学部」(大学ホームページより)
「社会科学としての経済学・経営学(マネジメント領域)をベースとし、人文科学に関する学び(カルチャー領域)と自然科学系の一部(テクノロジー領域)を合わせた三つの領域を通して、食科学(Gastronomic Arts and Sciences)という学問を複眼的な視野から究めていきます。食の背景にあるいろいろな物語を知ろうとする好奇心『世界をおいしく、おもしろく』が学びの原点」(同ホームページより)
上記が設置の趣旨ということになる。
従来、食に関わる学部としては、農学部や栄養系の学部などがあった。しかし、本学部は、食物という「もの」だけでなく「ガストロノミー」や「フードデザイン」という概念を取り入れ食文化=「こと」も本格的に対象にした大学のコースとしては嚆矢といえる。
なお、本学はガストロノミーやホスピタリティマネジメントの世界的な教育機関である「ル・コルドン・ブルー」との提携でも注目を集めた。
出典:https://www.ritsumei.ac.jp/gast/
【3】京都府立大学 文学部 和食文化学科(2019) → 農学食科学部 和食文化科学科(2024)
3番目は、京都府立大学 農学食科学部「和食文化科学科」である。当初は「文学部・和食文化学科」が前身で、和食が2013年12月にユネスコの無形文化遺産に登録され、世界的にも注目を集めるようになった後の2019年4月に設置された。
和食文化学科での学びの特徴はなにか。大学のホームページの「教育の方針」によると、以下のようになっており、文学部内への設置当初から文理の垣根を設けていなかったことがわかる。
「和食文化学科では、文系・理系の枠を超えて和食を多角的にとらえ、和食文化を、人類学・歴史学・文学・経営学・食科学などの専門的な視点から学びます。これら座学を中心とした学びとともに、食に関わる料理人や生産者、消費者が、何を見、何を感じているかを演習・実習で学び、食文化の可能性を開く能力を養います。和食文化の学識の上に、真の教養人として、現代人の知的関心に応え、世界に日本文化を発信する人材の育成をめざします」
カリキュラムは「食人類学」「和食史学」「和食文芸」「食経営学」、そして食品科学や栄養学を主に学ぶ「和食科学」の5つの専門分野が設けられている。
代表的な授業として「食文化原論」「和食の歴史」「仮名文字入門」「食環境を巡る国際社会と日本」「京料理の科学」「和食サービス論」などが挙げられており、食の中でも「和食」という特化したジャンルの文化的な理解と発信が重視されていることが見てとれる。
この和食文化学科が、京都府立大学の全学的な改組再編に伴い、2024年4月からは農学食科学部 和食文化科学科として新しいスタートを切ることとなった。新・和食文化科学科の特徴は以下のとおりである。
「日本社会の伝統的な食文化に内在する普遍的価値の探求を目的として、生活文化としての食をサイエンスと人文・社会科学を横断する手法により読み解くとともに、食の現場で起きていることを自らの手で学び取る技量を身につける教育・研究を行い、日本における和食文化を継承・発展させ、和食が持つ魅力とその神髄を世界に向けて発信できる人材を養成」
「現在の和食文化をとりまく『和食史学』『和食芸術』『食宗教学』『食人類学』『食のサステナビリティ学』『食経営学』『和食科学』『発酵生理学・応用微生物学』を中心に、教養・専門科目を通じて広範な知識を修得します。人文・社会・自然科学の異なる分野の学問が幅広く連携することで、和食文化の新たな領域を拓く学びを提供」(京野菜などの)「食品機能性についての科学的解析方法」
このように、新学部での併設学科である農学生命科学科や栄養科学科にも関連する学びが強化されている。
「文理を超えた学び」は継続され、文化的理解や発信というアウトプットの部分は同様だが、基礎的な部分でやや理系的な要素が増えている。
一方、初年度となる2024年度入試においては、2次試験の志願者数を見ると、併設2学科と同様の英語・理科2科目という理系寄りのBパターンでの志願者が16名であったのに対し、英語・国語・地歴のAパターンが37名と、文系寄りの受験生が多い結果であった。(募集人員はA・Bとも各10名)
出典:https://www.kpu.ac.jp/education/literature/japanese-meal/
食に関する学びが総合科学化する背景には、第一次産業(農林水産業)中心の産業観から第二次産業、第三次産業も含めた六次産業化への移行を進める政策も影響していると思われるが、直近ではさらにDXとの掛け合わせによるスマート農業への取組みが増えている。一例を挙げてみよう。
【4】東京農業大学 地域環境科学部 生産環境工学科
同学科は、その前身となる農業工学科から通算すると80年を超える歴史を有する学科であるが、2024年度からは、従来の4分野8研究室から新たな2分野4研究室体制に生まれ変わる。
農業生産と環境保全の一体化という考えのもと、環境に配慮した持続可能な農業生産技術開発に取り組み、日本と世界の食料・環境問題の解決に向け貢献できる人材を育てること、Society5.0における農業としてAI×Tech×SDGs×DXを中心としたスマート農業やフード&アグリテックの期待に応え、それらに対応できる生産環境・生産システムを構築するため、新しいデジタル技術を活用すること、などが改めて謳われている。
【5】共愛学園前橋国際大学 デジタル・グリーン学部(仮称) ※2026年度新設構想中
2022年度からスタートした大学・高専機能強化支援事業 (学部再編等による特定成長分野への転換等に係る支援)【支援1】に採択された構想で、全体としては「地域課題を発見・設定し、解決策をデジタルやグリーンの知見も活用して協働構築し、未来を構想して実装する人材」を育成するという、大きなプランの一部に食、特にフードテックが含まれる、というものである。
このプランの基盤となるのは国が政策的に進めている「デジタル田園都市国家構想」で、同大学が位置する前橋市のデジタルグリーンシティ構想はその拠点の一つに採択されている。
食を柱としたグリーン人材育成は、食品産業の規模が大きい群馬県にあって県内出身者が9割を占め就職も8割が県内という同大学の卒業生が地域に貢献するのに適している。
一方、デジタル人材育成に向けの取り組みもある。2026年度の新学部の設置に先立ち、現在、慶應義塾大学に置かれているサイバー文明研究センターを、2025年度に共愛学園前橋国際大学にも設置し、國領二郎・現慶應義塾大学教授がセンター長に就任する。
そして、サイバー文明研究センターの名誉センター長として、「インターネットの祖父」と称されるDavid Farber博士を迎え、DX人材の育成の準備を進めようとしている。また、サイバー文明研究センターは、大学だけではなく、前橋市とも連携し、地元企業のデジタル化の推進や行政のデジタル化などにも協力する。
【6】京都女子大学 食農科学部(仮称) ※2027年度新設構想中
こちらも大学・高専機能強化支援事業【支援1】に採択された構想である。申請資料の「特徴・コンセプト」には以下のようにある。
「食と農について生産から加工・流通・消費に至る様々な部門を対象とし、持続可能な環境調和型食料システムの構築とグリーントランスフォーメーションの推進に資する人材を養成する」
教育内容としては、「生物資源学」「環境生物学」「農業情報学」「農業生産技術」「生物化学」「遺伝学」「微生物学」「食品科学」「食料・環境経済学」「政策学」等が挙げられている。
行政機関、組織・企業等の連携については、「食の生産・流通」「栄養・生理機能成分の分析」「スマート農業」「商品開発」「素材研究」「人材育成」等に関して、PBL型授業やインターンシップ用の実施も計画しているとされている。
実際の開設まではまだ時間があるため、具体的な内容が見えない部分も多いが、データサイエンス学部も擁する大学なので、さらなる新たな取り組みにも期待がかかるところである。
出典:https://www.niad.ac.jp/media-download/6794/1b72dd8c57b90652/
【まとめ】
近年の大学のさまざまな取り組みについてみてきた。では、これからの方向性を考えてみよう。
総合科学としての食にさらに今後加わっていきそうな分野・切り口として考えられるのがデザイン&コミュニケ―ション=伝える・巻き込む力ではないだろうか。
農林水産省は、将来にわたり日本の食を確かなものにするために、消費者、生産者、食品関連事業者、日本の「食」を支えるあらゆる人々と行政が一体となって、考え、議論し、行動するための取り組みとして2021年から「食から日本を考える。ニッポンフードシフト」をスタートさせている。
https://nippon-food-shift.maff.go.jp/
多彩な取り組みが継続的に全国各地やネット上で行われているが、ここで注目したいのが2022年10月に開催された「食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT FES.東京2022」での京都芸術大学による展示・体験ブース「シ展。2022-2023」である。
「これからの食とデザインを、様々なシテンで考えてみる」ことをテーマとし、デザインを学ぶZ世代による「食料安全保障や価格転嫁」に関する探求成果のグループ展として、生産者や食品関連事業者へフィールドリサーチを行い、これからの食をデザイン視点で考え直すプロジェクトで、同大学芸術学部の情報デザイン学科の学生たちが中心となって手掛けたもの。
指導にあたった教員の1人、村川晃一郎氏は、以下のように語っている。
「課題がどこにあるのか、どのようにしたら人に伝わり、また見た人の考え方が変わるのか、そういったことを、デザインを行う際に用いる思考や手法でひも解いていくと、新しいアプローチができるのではないかと思いました。デザインを学ぶ学生たちは、思考したものをアウトプットする能力を持っているので、食の問題に対してもきっと課題解決につなげられると思います」
この「シ展。2022-2023」は、さらにこの後、2023年1月開催の「食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT FES.兵庫」でも発表・展示が行われた。
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2302/spe1_03.html
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/1072
「シ展」では10チームによる様々なシテン(視点)のプロジェクトの展示・発表が行われ、いずれも芸術系の大学ならではのカラフルでアトラクティブなものが揃った。
なかでもチームCの「選択の支点」と題するプロジェクト、「食品添加物」「遺伝子組換え」「慣行農業と有機農業」「国産と輸入」「食料自給率」の5つのテーマについて調べ、是非や可否を述べるのではなく、すべての物事には裏表があることを踏まえ、食の現状を回転パネルにデザインして、「あなたはどう思いますか」と意識喚起をする展示などには、個人的に視覚デザインの強みを感じさせられた。
これは一つの事例であるが、専門家だけでなく一般人にも広く関わる食のような分野・フィールドを総合的に扱うためには、専門家として新しい価値を産み出し、それを評価・可視化することはもちろん、さらにわかりやすく表現し伝える力がなければ、持続可能なサイクルは生まれない。
今後は「文系⇔理系」「情報・DX」+「デザイン(思考)&コミュニケーション」まで視野に入れたSTEMな学びが増えていくのではないだろうか。
<著者プロフィール>
満渕 匡彦(まぶち まさひこ):KEIアドバンス コンサルタント。学校法人河合塾、またKEIアドバンスを通じて、長年に亘り入試動向分析や学部学科新設検討などを担当。趣味はチェロ演奏。